A先生のこと

 高校時代に「歌手」という変わった前歴を持つ教師――仮にA先生と呼んでおこう――がいた。割に有名な人なのでその道に詳しい方ならすぐにピンと来るかもしれない。そう、あの人だ。
 知らない人のために書いておくと、歌手になったもののまったく芽が出ず、レコードも売れないので仕方なく教師になった……というわけではもちろんない。ぼくが伝え聞く限りでは、一定の(というかかなりの)成功を収めた後、「英語の教師」というもうひとつの夢を実現するために惜しげもなくそのキャリアを閉じたのだそうだ。引退からずいぶんと時が経つが、ウェブ上には彼のファンサイトがいくつもあり、そのことからも人気の一端をうかがうことができる。

 ぼくが高校二年に上がる時に彼は他所の高校に異動してしまい、直接授業を受けることはかなわなかった。それでもいくつかの接点はあり、それは今でもわりに鮮明に覚えている。
 教師としての――というのはつまり、ステージで唄っている以外の――彼との出会いは高1の一学期が始まってまだ間もないころのことだった。自習監督として彼はわれわれのクラスにやってきた。
 出席を取り終えてからしばらくすると、彼はいたずらっぽい目をしながら「これ、全部覚えてごらん」と言っておもむろに黒板に数字を書き並べた。そして最後まで書き終えたかと思うと、すぐにそれを消してしまった。数字の数は15コくらいあったのではないかと思う。そして一番前に座っていたクラスメートに数字を答えさせた。
 全部の数字を覚えきるには与えられた時間はあまりに短すぎ、当然そのクラスメートは最後まで答えることはできなかった。きっと誰をさしても最後まで答えられなかったのではなかったかと思う。ちなみに指された男はぼくたちのクラスの会長で、リーダーシップと頭の回転の速さで一目置かれていた。
 沈黙は予想通りだったのだろう。やがてA先生はこの唐突なクイズの種明かしをしてくれた。改めてゆっくりと書き直されていく数字を一つ一つ注意して見比べてみると、無造作に書きなぐったように思われたその数字は、実際には一定の法則に基づいて書かれたものだったのだ(要するに数列というやつですね)。具体的にどんなものであったのかはもう忘れてしまったけれど、等差数列や等比数列といった典型的なものではなかった。数学的というよりはパズル的な法則のものだったような記憶がある。(高校に入ったばかりだからまだ数列は習ってはいなかった。おそらくそれも計算のうちだったに違いない)。

 そして、A先生は
 「これが英語なんだよね」
 と言った。その表情からはさきほどの冗談ぽさは抜け、強いまなざしが空中をじっとにらんでいた。
 「ばらばらに何かを覚えるんじゃなくて、ルールを覚えるの。そうすれば、暗記も少なくてすむし、自分で文章をつくることもできる」そういった趣旨のことを彼は述べ、さらに数字をいくつか書き足した。ぼくたちが面食らった顔をしていると、満足したのか、「じゃ、あとはよろしく」と言って、教室を去っていった。

 これが、A先生とのはじめての出会いだった(改めて思い出すとずいぶんと芝居がかっていますね)。

 実を言えば、ぼくは最初に黒板に数字を書き終えた時点でトリックには気付いていた。たぶんそれ以前に似たような経験でもしていたのだと思う(これはもちろんぼくのアタマがよかったからではない。何しろその数週間後に数学のテストで人生最初の赤点をとることになるのだから)。それでも相当に印象深かった。ステージでクリームの「クロスロード」を唄う彼の姿と同じくらいに。その後も折に触れてこの時の先生の言葉を思い出した。「そうだ、すべての事柄の背後にはなにがしかのルールが存在しているのだ」と。


 放課後の暗い部室で彼のギターソロを聴いたこともあった。
 友人に、音楽が大好きで、このA先生に憧れて同じ高校に入ったという奴がいた。性格はほぼ最悪だったけど、音楽の才能はすさまじく、自分でもギターとピアノを演奏した。ぼくがジミヘンのウッドストックのCDを貸したら、三日後に「イザベラ」を耳コピしてみせてくれるような奴だった。
 その友人と放課後の部室でギターを弾きながら遊んでいると、たまたま部室に用事のあったA先生が中に入ってきた。
 彼はぼくたちにブルースのコード進行を教え、やがてスムーズにバッキングを弾けるようになると、今度はそれを伴奏に自分はソロをとった。「小振りなギターの方が好きなんだよな」と言って、ギターはぼくのものを使った。机1つ隔てたすぐそばで本物の音楽がうみだされ、そしてそれを耳にしているのは自分だけなのだということに気付き、ぼくは少なからず興奮した。自分の高校時代についても少し話をしてくれて、「後はさ、ベースを見つけてきてさ、おれが学生の時は電話帳なんかを並べてそれをドラム代わりにしてセッションやってたんだよ」と教えてくれた(その後で「普段はどんな音楽を聞いているんですか?」と訊ねたときに、この半ば伝説と化したロックシンガーは「ドリカム」と答えたので、それにはなんだか脱力してしまったけど)。

 受験勉強も忙しく、ぼくのギターは英語と比べてすらモノにはならなかった。でもその時先生に貸したフェンダージャパンの赤いストラトキャスターは今でも手元にあって、たまに弾いている。そして、その時に思い出すのは文化祭のパフォーマンスや部室のギター演奏よりも、あの初夏の教室の出来事であることが多い。