なぜ中村一義の手は開かれていたのか

scotty2005-07-14

 100sのライブに行って来ました。ナカカズのライブといえば、W杯ロシア戦の日にあった博愛博以来なのでおよそ3年ぶりになります(遠い目)。あの日は原宿駅で待ち合わせて、代々木競技場の敷地で行われていたナイキ主催のイベントを抜けてAXに行き、帰りはパブリックビューイングを横目に駅に向かったんだっけね。

 着いてから開場までかなり時間があったので、集まってくるお客さんを見るとも無く眺めていると、予想以上に女の子の割合が多かった(7:3くらい?)。先入観として、垢抜けない文系男子に人気があるような気がしていたんだけど、全然そんなこと無いのね。

 チケットの整理番号は1000番を超えていたのでかなり遅めの入場。二階席に目をやると、地球よりも少し重力の重い星で育ったブルドックのような顔立ちの男性が最前列の席に腰を下ろすのが見えた。たぶんあれが渋谷陽一さん。*1ぼくが中村一義を初めて聴いたのは渋谷さんのラジオだった。博愛博のときもそうだったけど、中村君のおばあちゃんも見えていたみたいだった。


 予定の開演時間を少し過ぎてメンバーが登場。小さな赤い照明がいくつか灯るだけの暗いステージで最初に演奏されたのは「ZEN」。このシンプルだけれど深い世界観を持つ曲は、照明の効果とあいまってとても多くのものを暗示させているように感じた。ライブというのは基本的にはプラスの感動を分かちあうものなんだけれど、そこに辿りつくまでにどれほどの夜を越えてきたのか、あるいは100sのポップで力強いメロディーがどれほどの闇を抜けて生まれたものなのか、そういったハレの裏側にある負の部分の質量が集約されているような気がした。
 ライブの曲目は最新作「oz」と実質的な100sのファーストである「100s」からの選曲がほとんどだった。CDを聞いている時ですら感極まってしまうことが多かった「扉の向こうに」と「いきるもの」では涙をこらえるのに大変だった。

 今日でツアーの前半(第一部?)が終わりなので、勝手に大丈夫と判断してばらしてしまうけれど、ECでは初期の名曲、「魂の本」が演奏された。ぼくは、「金字塔」〜「太陽」の流れの中では少し外れたところにあるこの曲(金字塔的な方法論で新しい世界観を模索している、中村君の言葉を借りれば「0」の曲)を偏愛しているのでとても嬉しかった。そしてこの曲を聴いている時だけはいろんなことが思い出されてどうしても涙が止まらなかった。
 「魂の本」が発売された日のことは今でも良く覚えている。その時ぼくは高校生で、授業が終わると自転車に乗ってCD屋に駆けつけ、誰もいない放課後の教室で繰り返し何度も何度もこの曲を聴いたのだ(「レーディーボーデーン、最近見ないぜ」(笑))。確か5月のことだったと思う。
 

 今日のライブを観て、音楽というものはこれほどまでに多くのものを聞き手に伝えることが出来るのだな、と改めて驚いた。ぼくは中村一義に特別な思い入れがあってずっと聴いてきた人間だけれど、仮にそのことを差し引いてもそう感じずにはいられなかった。
 たとえば、「キャノンボール」で唄われる「愛」にしても、歌詞はシンプル極まりないのに、バンドの音に乗って中村君の声であのメロディーが歌われると、その空間には、カラフルで雄大な、それでいて細部までくっきりとピントのあった「愛」が生まれるのだ。メロディーの飛翔感にのって、大きな風景をぼくたちも目の当りにすることができるのだ。
 ぼくたちは何か伝えたいことがあったとしても、自分の心を開いてそれを誰かに見せることはできない。だから、誰かに何かを伝える時には――自分自身に何かを伝えようとする時にさえ――音や文章という形に置き換えなければならない。けれど、それはほとんどの場合、近似的な似て非なるものでしかない。その意味ではぼくはぼく自身とすら正しく出会うことはできない。でも今日に限ってはまじりっけなし、純度百パーセントの思いがメロディーになって伝わってくるかのように感じた(自分の経験の中で近いものを探すなら、ゴッホの絵を観に行った時に感じたものに似ているかもしれない)。空気に混じった音の粒子は肺や心臓を経て毛細血管によって体の隅々まで伝わり、体の組成の一部になる。
 

 ライブの間、中村一義が客席に差し出す手は握り拳ではなく捧げ手だった。確信ではなく、信頼。ぼくにはそれがすごく象徴的なことのように思えた。
 彼はキャリアの初めから変わることなく、心の周辺同士を結びつける音楽ではなく、自分の心の中心とまだ見ぬ聴衆の心の真ん中が直に接するような音楽を追い求め、形にしてきた。だからこそ、土手の景色を唄う時も、兎の死を唄うときも、そのメロディーは不思議な生命力と光に満ち溢れ、聴き手の涸れかかった井戸を幾度と無く潤してきた。そして、彼にとって音楽を創り届けることは生きることに直結した困難な試みであったからこそ、それは確信と共につかみ取れるものではなく、飽くまでも聞き手のいる方向に向けて手をかざすしかないものだったのではないか、と思うのだ。

追記:前後の詳しい流れは忘れてしまったけれど、MCで池ちゃんが「782回くらいありがとうって言ってたよ」というようなことを言っていた(数字以外は不正確な記憶)。ちょっと気になったのでライブの後で見てみたら、案の定ロッカーの鍵の番号が「782」だった。
池ちゃんのダイブはぼくのすぐそばだった。びびった。アフロにもちょっと触れた気がする。

*1:余談になるけど、ぼくは同じく音楽評論家である伊藤政則さんを中央線で見かけたことがある。白い靴を履いて東スポを読んでいた。