村上春樹『羊をめぐる冒険』
村上モトクラシ(id:motokurashi)が終わってしまうから、というわけではないのだけれど。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1985/10
- メディア: 文庫
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すでに読み終えた小説を無性に読み返したくなることがある。一年後、二年後、潜伏期間は色々だけれど、ある日、何の前触れもなく強い衝動に襲われ、本棚から小説を探し出し、貪るように読む。時々そういうことが起こる。
作家の数で言えばそれほど多くはない。ぼくがこれまでにそんな体験をしたのは隆慶一郎さんと島田荘司さん、そして村上春樹さんくらいのものだろうか。
初めて読むときにそういった予感があるかと言えば、ない。つまらなく感じた小説を読み返すことは無いけれど、面白いと思った小説の中でも、ほんの一握りの小説にだけそういった現象が起こる。1度海底に沈んだ物体がやがて海面に浮き上がるようにして。
そんなわけで、止むに止まれぬ衝動に駆り立てられて、「羊をめぐる冒険」を読み返しています。
前の二人と違って、村上さんの小説を読み返していても、初めて読んだ時のことを良く思い出せない。隆慶一郎さんや島田さんの小説を読み返すときは、以前自分がどんな思いで読んでいたのかを大体思い出すことが出来る。というか、過去の自分を含んだ存在として現在の自分が存在しているのだ、ということをありありと感じたのを覚えている。
けれど、村上さんの小説を読み返すときには、自分が以前どんな感想を抱いたのかを良く思い出すことが出来ない。自分が全く別の人間になってしまったような気もするし、何も変わっていないようにも思う。あるいはそれは広い湖の別の場所に碇を下ろしているだけのことなのかもしれない。ただ、活字を追いながら、心の深いところで何かが変化している(組み変わっている)感覚だけが強くある。
村上さんの小説を読えるといつも、思い出せない夢を見た時のようなもどかしい満足感が残る。読み返すたびにその度合いは強くなっていく。以前はそれを誰かに伝えたいと思い、さらにもどかしい思いをした。そんなことが何度か続き、次第にあえて伝えようとも思わなくなった。ありのままをとどめておけばいいじゃないか、と。
自分の心のどこかに、少しずつ上昇を続ける物体が、あるいは静かに発火の時を待つ導火線が気づかれぬまま存在していると思えれば、もう少し腐らずに生きていけそうじゃありませんか?(って誰に言ってんだか。)